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バタフライ・メィデン

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ワタリガラスに導かれて Part2

ワタリガラスに導かれて Part2_a0013267_24244.jpg6月9日午前6時、早起きの操さんの起きた気配で目が覚める。
前日の雨は上がっているようだ。
武和さんはお友達の焼いたパンを朝食にと差し出してくださった。白あんにバターの入ったコッペパン。熊野の朝の気配がさらにパンをおいしく感じさせてくれる。

  今日は玉置神社に参拝する予定。玉置神社へは何度も行っているのだが、道を覚えるのが得意な私にしては不思議なことに、この神社への道だけは何度行っても覚えられない。玉置神社に上がるには玉置山のどこの麓から上がっても20キロ程はかかる。パッチワークハウスからは1時間半の道のり。武和さんの車に皆同乗して麓から上る山道をウネウネと走ってゆのだが、車に弱いちずさんにしきりに語りかける武和さん。八咫烏 に導かれて東征した神武天皇の神話を武和さん流に解釈して語ってくれた。私はそれを子守唄のように聞きながらいつしか眠りに落ちていった。玉置のお山を昇る時にはいつも何か体調に異変が起きる。昨年の5月の時は、悲しくはないのに涙が溢れ続け、嗚咽が込み上げてきて一種のトランス状態に陥った。まるでお山から洗礼を受けているような感覚だった。
  今回はただただ眠かった。ボディワークやレイキのセッションをしている時、クライアントさんを前にしてよく眠くなり、その時の状態は脳波がアルファ波状態でまどろみを体験することがよくあるのだが、前日の運転の疲れもあったのだろうが、今回はそれを通り越して本当に眠くなった。隣に座っている操さんも眠っていた。「着いたよ」と起こされて目を覚ますと、懐かしい玉置神社の鳥居前に到着していた。
  鳥居の前で一礼し、そこをくぐり抜けて参道を歩く。雨に洗われた新緑が美しく、杉木立が近付いてくる。千年の昔から生きている森。山門のすぐ脇には熊野古道が走り、そこを下ってゆくと大好きな「大杉」に出会える。昨年、パッチワークハウスで瞑想状態になった時の私の様子を見た武和さんは「まるで大杉のようだったよ」と形容した。確かにその時何らかの意識とコンタクトしていた私は、それがどこからやって来たものか知らずにいたが、今振り返ってみると熊野の古代杉の精霊と繋がっていたのかもしれない。今再び大杉に出会い、苔むした幹にそっと触れてみる。大杉の木肌は柔らかい。凛として立ち、無言のままで千年の時を過ごした大杉。その幹の中から脈々と流れる樹液の音が聞こえる。「生きている」。彼女がそっと微笑んだように感じた。
 〜写真はちずさんが写した大杉です。〜

  山門をくぐって玉置神社の内に入り、本殿の神々に参詣する。本殿には国常立尊(くにのとこたちのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、 伊弉冊尊(いざなみのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと・神武天皇)の五柱の神々が祭られている。
  国常立尊は宇宙根源の神、いざなぎといざなみは日本の国産みをし国堅めの神、生命の祖神 となられた夫婦神、天照大神は伊弉諾尊 が御祓をしたときに、光を表す左目から生まれた太陽の女神。神日本磐余彦尊は神の国に生まれ人の世界に足を踏み入れ、第一代の天皇となられた神。 日本の神々の系譜はとても興味深い。神武天皇の東征の伝説は縄文人の平和を乱した戦好きな暴れ者の様で個人的には好きになれないのだけど、神々の世界にも神武天皇が初めて起こした戦もあれば、いざなぎといざなみの夫婦喧嘩もあったようで人の世と変わりはないのかもしれないなぁなどと思ってしまう。
  社務所の中にも上がらせて頂き、国宝のふすま絵と再び対面する。鶴の間、老い松の間、鯉の間など。一番奥の間には弁財天がお祭りされている。
 玉石社にお参りしようと、お山の石段を昇ってゆく。玉石社には大巳貴命(おおなむちのみこと) 、いわゆる大国主の尊がお祭りされている。ご神体は黒曜石。三本の木に抱かれるように大きな石が半分埋まったように祭られている。これは心を表しているのだと言う武和さん。ハートは身体に守られているけれど、心を開けばいつでも世界と繋がるのだとその石が教えてくれる。その石の前でちずさんが歌を唱い始めた。地球の歌だった。彼女の声は玉置の杉の森に溶けるように木霊していった。操さんは彼女が唱い終わるとちずさんをしっかりと暖かくハグした。私はこのような暖かな光景に出会う度に人の無限の素晴らしさを感じることができる。人は何と無限の愛に満ちあふれているのだろう。菩薩の意識とは何気ない仕草や行動の中にいつでも存在しているのだと感じずにはいられなくなる。 又、玉石社の上には三石社があり、大きな岩が3つご神体として祭られている。その三つの石はそれぞれ、太陽、月、地球を表していると言われ、ちずさんの知らずして地球の唄を歌った不思議が重なった。このようにして天は私たちにいつもインスピレーションを通して情報を伝えてくれているのだ。

  玉置のお山に別れを告げて熊野市に下り、最後に花の磐神社にお参りをさせてもらった。ここには伊弉冊尊(いざなみのみこと)と迦具土神 (かぐつちのかみ)がお祭りされている日本最古の神社と言われている。かぐつちは火の神様。母であるいざなみの出産の折、自ら纏った炎でいざなみの命を断ってしまう。それに怒った父、いざなぎによって首を切られて殺されてしまう悲運の神様。その母子が向かい合って共に祭られている。いざなみの背後には大きな磐座。無上の母の愛が子に注がれ、永遠に抱いている様な姿に見えてならなかった。
  熊野には山もあるが、海もある豊かな地。花の磐神社前に横たわる熊野灘の海岸に降り立った私たち4人は大きな深呼吸をすると、気持ちのいい風が吹き過ぎていった。
  ちずさんはここから伊勢神宮へ、操さんは明日の帰国のために東京にJRで移動、私の帰り道は一人になった。短い旅の別れの時。それぞれがハグをし、武和さんに感謝の言葉を語った。「またきっと逢おうね」「ありがとう」
  旅をすると必ず出会うものがある。それは愛と感謝。
  
  カラスに導かれた小さな旅は魂が喜ぶ旅だった。過去生で出会った魂達が再び今生で巡り会い、旅を通して交流したのだ。それを証明するものは何もないけれど、五感以上の何ものか、あるいは霊性と呼ばれるものが響きあい、導かれ、磨きあったのだと確信することができる。
  一緒に旅してくれた操さん、ちずさん、こづかいさんをしてくれた武和さん、ありがとうございます、とても愛してます。出会えてとても嬉しかった、また必ず逢いましょうね☆

Love and Hug, momo
by momo_yukari | 2004-06-12 02:43 | ワークショップ&イヴェント