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バタフライ・メィデン

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生と死の汀


生と死の汀_a0013267_351382.jpg人は生きるまで死んでいる

私たちは生きるという現実をまるで当たり前のように感じていますが、はたして生きているのでしょうか?
目に見えるもの、耳に聞こえるもの、肌に触れるもの、心に感じるもの
五感や六感を通じて、他者との対比をもって自分というものを認識していますが
果たして生きているのでしょうか?

私たちは親しい人や愛するペットなどの死などに直面して、悲しみ嘆き涙を流します。
彼らの死が教えてくれるもののひとつ、それは死と対極にある生。
彼らは死をもって私たちに生きる事を教えてくれるのです。

自分は生きていると思っていても、その生がどれほどのリアルさを伴って、
どれほどの輝きをもって、どれほどの喜びをもって生きていると言えるでしょう。

生を自分の掌中におさめる瞬間、それは死を実感することにも通じます。
死を否定的にとらえるのではなく、肉体を脱ぎ捨てて行く純粋な魂への回帰、
肉体を持つ事によるひとつの学びの終わりと捉えると、
真摯に生きることへの渇望と、生を全うすることへの課題が見えてきます。

昨夜、友人と死について語りました。
そして私はまだ生を終えるに値するほど生きていないと感じました。
部屋は片づいていないし、未払いの請求書も残っています。
こんな簡単なことですらまだ未完了のまま、生を終えるわけにはいきません。

生と死
その狭間は紙一重です。
呼吸が生きている証。
吸う息と吐く息の狭間にも死は確実に横たわっている。
そしてその作業のくり返しに生が存在する。
単純なことです。
生きる。 シンプルなこの事実を実感するまで私たちは生かされているのかもしれません。
そして生きることに目覚めた時、その人生が輝き始め、幻は消え去るのでしょう。

当たり前のように感じている生。
その輝きを一瞬たりとも見逃してしまうのはもったいないものです。
私は時々、呼吸の音に耳を傾けて、自分の生を再確認する時があります。
生きている事を思い出すために。

サンフランシスコに住む高原操さんから生きる事への素晴らしいメッセージが届きました。
あるMLに投稿されたものですが、このブログを読まれている方にシェアさせて頂きますね。

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【今一瞬の生】

隣に寝ている愛する人が朝目覚めないことを誰が思うでしょう。
そして明日の自分さえももしかしたら目覚めることがないかも
しれない、、、。
今生の役割を終えて魂はいとも簡単に肉体を脱ぎ捨てる、、、。

あたりまえと思っている生が実は奇跡のように今ここにあります。

今エネルギーはとても高くなって次元がシフトしているように
感じます。シフトとともに肉体を脱いでいく魂も多いのでしょう。

今一瞬の生がとてもいとおしく大切に思えます。

肉体を持っている間に愛する人にたくさん愛を伝えましょう。
もう少しの猶予もないように自分の生を輝かせましょう。
一瞬一瞬奇跡の連続のように生きましょう。
明日の朝目覚めないかもしれない時のために今夜愛する人を
100%の思いでハグしましょう。

逝く人はいつも大きな愛だけ遺して。
本当に大切なものを教えてくれます。

皆様に愛を送ります。 〜高原操
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by momo_yukari | 2004-09-16 03:50 | スピリット